ピアノのお散歩

ピアニスト北中綾子のブログです。音楽やピアノのこと、趣味や日々のことを思いつくままに綴っています。

振り返って・・・

リサイタルが終わって10日が経とうとしています。しばらく興奮状態が続いていて昼間も変なハイテンション、夜は目がパッチリでうまく寝ることができませんでしたが、落ち着いてきて週末からはぐっすり眠れました事後のやるべきことがあったりするので、割と忙しくもしていましたが、その間にコンサートの感想も聞こえてきて、じわじわと実感が湧いてきたり、ゆっくり冷静に振り返ってみたりしていました

それと共に、色々と込み上げてくる思いもありました。

ピアノを練習中に左腕に激痛が走ったのは、一昨年の夏でした。ちょうどお盆休みが終わった頃。

今までの経験からどう考えてみても原因不明でしたが、そういえば、寝られないほど左手がだるいなど前兆は何回もあったように思います。

リサイタルのプログラムの方向性を決めて、案を絞って組み立てている時でした。

まぁしばらく安静にしていれば自然に治るだろうと軽く考えて、練習だけは一切せずに後は放っておきました。

ところが、1週間以上経っても痛みが引かず、指を動かすのも辛い、生徒の初歩の曲のお手本も弾いてあげられない、物を持つのも困難、日常生活にも支障を来していました。

さすがにおかしいと感じ、何とかしなければと動き始めました。

そして、事態の深刻さを知ったのでした。聞こえてくるのは悪い話ばかり、平たく言えば、思うように回復しないというものでした。師事した先生に電話したところとても心配して下さったのですが、ソロ活動から去っていった人もたくさん知ってます、と言われショックのあまり呆然。そして、「まず一番の治療は弾かないことだけど、弾くなと言うのはどれだけ酷なことか分かっているから私からは言えない。」 その言葉、嘆きぶりから、簡単なことではないのだと感じました。

友人に相談して色々と助けてもらっている間に、あちこちいい先生はいないかと探して、オリンピックにもスポーツトレーナーとして帯同経験のある先生を紹介してもらうことができました。

それからトレーナーの先生の元(整骨院)には車で片道40分ほどかけて、車がない時は電車で毎日治療に通いました。

手を痛めてしまった事実は受け止めるしかなく、とにかく完全に治したい一心でしたが、将来への不安や悲しさや色々なことが渦巻いて、涙が流れました。

先生にも、筋肉を使う以上は故障は誰にでもあり得ることだけど、一度こういう状態になった以上、回復しても以前と同じことをやって同じようにできると思わないでほしい、覚悟を決めてほしい”ということは言われ、そういった心構えと同時に様々なケアの仕方(ストレッチ、アイシングなどなど・・)を教えてもらい、色々な治療法を試してもらいました。

痛みがなくなってからもずっと通い続けましたが、治ってくるにつれて、整骨院に通う回数も減らせるようになりました。

最初はその年に予定していた演奏会のキャンセルを考えましたが、プログラムを負担の少ないものに急遽変更し、キャンセルはせずになんとか弾き切りました。

それと同時に考えなければいけなかったのは、リサイタル。

予定していた時期をずらすことは仕方のないことでしたが、プログラムは変更したくない・・・でも、健康でも手を痛める可能性のあるシューマン「交響的練習曲」に挑むのは無謀とも思えました。おまけにシマノフスキと組み合わせようとしているのです。分かってはいたけれど、練っていたプログラムを変更せず、予定通り準備を進めたいと思ったのは意地ですかね。。

どうしても変奏曲をテーマに、このプログラムの方向性で弾きたかったのです。

何があってもこのプログラムで頑張ろうと決めて、昨年4月にリサイタルの日程を押さえました。目途が立ってきたことに嬉しかったし、深いため息が出て、一人で少しうるうるしたのを覚えています。

昨年夏の演奏会でシマノフスキを弾けたことで、一つの山は乗り越えられたかなと感じました。手は本番数日前から少し重くなっていましたが、それでもうまく調整していけば大曲を本番で弾けるという自信につながりました。

けれども、やはり影響はあるもので、全体のプログラムの準備は大幅に遅れてしまいました。取り掛かりの時期が遅かったわけではなかったはずですが、思うように練習に取り組めない期間があったわけだし、その後も怖くて練習に身が入らなかったり、いざ詰めて練習し始めると何かしら調子が悪くなるということを繰り返したからだと思います。行きつ戻りつしながら練習量も増やせるようになり完全快復に向かったという感じですが、リサイタル2か月前の仕上がり具合は私が目指す演奏からは遠いものでした・・・。

でも調子が悪くなるということはもうほとんどなくなっていたので、追い上げに本当に必死・・・まさに「自分との闘い」。

その中でも左腕に疲れがたまり、筋肉の張りが強くなるとやはりとても不安になりましたし、どうしても恐怖心はありました。最後の最後、当日を迎えるまで何が起こるか安心はできないと思い、細心の注意は払ってきたつもりです。

整骨院には毎週通っているので様子を見てもらっていましたが、当日から5日ほど前に行った時に不安を口にする私に、何かあったらすぐ電話してと先生に携帯番号を教えてもらい、万が一の時は電話しようと思えて安心でした。

結局電話することはなく、体の状態は軽くてとてもいい状態で演奏することができました

あの悲観して辛かった日々を思うと、うまく言い表せないたくさんの思いが駆け巡っていました。一喜一憂しながら、苦しいことも悩むことも、不安も恐怖もたくさんあり、一人でこっそり泣いたことも数知れず・・・。

でもこの経験を通して、何事も当たり前はないし、自分が将来に渡って何をどうしていきたいのか、どういうピアニストでありたいのかをじっくり考え、自分とも向き合えたと思います。

そして、症状としてはとっくに「治った」と言えるものになっていましたが、今では更に進んで「もう大丈夫」とちゃんと言えます。

もちろん最初に言われたように今後も安心&油断は禁物ですが、自分の体に耳を傾け向き合い続けてきたので、色々と分かるようになりました。

故障を乗り越えられたこと、そして再び音楽ができるようになったこと、存分にピアノを弾ける状態に戻れたこと・・・色々な幸せを噛みしめつつ、これからも自分を磨いていけるように、また新たな一歩を踏み出したいと思います

この投稿は迷ったのですが、私の素直な気持ちと、今後の新たな決意として読んで頂ければ嬉しいです。