3月20日(月)
オシフィエンチムは町の名前でここに強制収容所があるのですが、ドイツ語名ではアウシュヴィッツと言っているのです。
バスはアウシュヴィッツ博物館前に着いてくれました。
今まで電車で来ていたのでバスは初めてです。
ここへ来るのは4回目。
今日はなんとカメラの電池を充電したまま忘れて来てしまいました
かなりの数の観光バスが着いていて、人が溢れていてびっくり。
以前は観光シーズンでもこれほどではなかったと思います。
4月からの観光シーズンはガイドツアーでないと見学不可能らしいのも以前と変わっているところです。
私達はガイドツアーには参加せず、個人で見学に回ることにしました。
入り口でのX線の検査と手荷物検査を受けて、荷物も預けて入りました。
(これも前にあったっけ?)
最初にポーランド館で悲惨な写真をたくさん見ました。
入口。「ARBEIT MACHT FREI」(働けば自由になる)と書かれています。Bの文字が反対になっているのですが(収容者の抵 抗の印だとも言われています)、残念ながらポールが邪魔になって写っていません。
今は冬なのでなんだか暗いですが、夏になると木々は緑になってレンガ造りの建物と一緒にとても美しく、悲惨なことが行われ た場所だとは思えません。木々は被収容者が少しでも癒されるように植えたと言われ、それから成長しているので今はこの大 きさなのです。
ガス室。隣にはすぐ焼却炉。流れ作業のように虐殺が行われました。
「死の壁」と呼ばれる銃殺が行われた壁。地下牢。
収容者たちの持ち物。
たくさん見ましたが、カメラを忘れたこともあり、撮っていません。
バスを待つ間に、駅で買って来たベーコンのパイをベンチに座って食べました。
レストランもあるようですが、行く気しませんしね。
「死の門」と呼ばれるゲートからまっすぐ伸びる線路。収容者を乗せた列車が到着し、ここで収容者の選別が行われました。
ずっと歩いて行って入口の「死の門」を見た光景。アウシュヴィッツの何倍もの規模です。
この車両に乗せられ、ここまで連れてこられたのです。
広大な敷地に広がる収容所。
国際追悼碑。収容者の母国の碑文があります。
碑文。これは英語ですが、各国の言葉で書かれた碑文があります。
ドイツ軍が撤退前に証拠隠滅のために破壊したガス室跡。私が留学中によやく修復作業に取り掛かり始めたようでした。
言葉に言い表せない気持ちになりながらもここを後にして、シャトルバスでアウシュヴィッツへ戻り、クラクフ行のバスに乗って帰りました。
さて、明るい気分に戻るべく、私が通ったクラクフ音楽アカデミーに立ち寄って、お店で紅茶を数種類買い、中央広場に行きます
うろうろしましたが、結局昨日と同じカフェに行きました。また昨日と同じテーブルで。
今日は昨日より暖かいので外の席でお茶を飲んでいる人もいましたが、暖かいといっても寒いのでダウンコート着たままです。
少し時間があるので、ポーランド食器のお店に行き、オーバルのお皿を2枚、柄違いで買いました
先生宅へ帰るとマリアさんが夕食を用意してくれました
マッシュルーム入りのスープ(緑色で生姜も入っていてとても美味しい)と、ジャガイモのピエロギ、ニンジンのサラダ、ピクルス。
先生は留守だったのですが、3人でゆっくり色々は話をしました。
ポーランド食器はもともと安いのだけど、最近は観光客も買うから高くなっているとのこと。
先生は遅くに帰って来られて、またまた一緒にお酒を飲みます。
今日はフルーツの強いお酒を2種類と、またまたウォッカ(笑)