ピアノのお散歩

ピアニスト北中綾子のブログです。音楽やピアノのこと、趣味や日々のことを思いつくままに綴っています。

誕生日&おじいちゃん

一昨日は私の誕生日

メールやメッセージ、プレゼント・・・お祝いして下さった方々ありがとうございました

それにしても、私の誕生日なのに・・・誕生日にお葬式なんて悲しすぎるよ、おじいちゃん。

去年はあんなにお祝いしてくれたじゃないの。

母方の祖父が亡くなりました。東京&埼玉で92歳までテニスコーチをしながら1人で暮らしていましたが、93歳の誕生日直前大阪にやって来てたった1年半ほどでした。よく食べて(お肉とお菓子大好き)健康そのものだったので、もっともっと元気に長生きするのかと思っていました。

大阪に来て最初の1年はうちで一緒に暮らしました。それからいわゆる老人ホームへ引っ越しましたが、少し弱ってきてはいたものの元気なので4月には奈良と金沢に自分で歩いて旅行にも出かけていました。

それなのに。。。

東京方面へ祖父に会いに行き始めたのは大学生の時です。

母が行くときに時々ついて行くようになり、ホテルに泊まってあちこち観光しながら会っていました。

旅行の思い出のようになるので、ひとつひとつが濃く印象に残っています。

その中で、特に印象的なのは横浜。

なぜでしょう・・・海があって風景がいいからでしょうかね。同じホテルに何度も泊まって夜景を眺めました。

祖父も横浜が大好きで、最期まで横浜にもう一度行くんだと言っていました。

早く退院して体調整えないと横浜に行けないんだから早く帰りたいんだよ、と。

体調がすぐれずに、しんどくて横になっている時も、山下公園、ロイヤルパークホテル、大桟橋・・・などつぶやいていました。

肺炎で入院したのは1か月少し前。

でも食べる意欲はなくならず、「快気祝いはすき焼きだよ、それから綾子はケーキを持ってくること!」と楽しみにしていました。

私の作るケーキと私の淹れるコーヒーをとても楽しみにしてくれていて、最後にホームへ母に届けてもらったのは苺のムース&パイナップルのマリネでした。ホームを別のところへ引っ越して、今度は冷蔵庫もポットもあるから、綾子がケーキを持って来てくれたら僕がコーヒーを入れてもてなすよ、と約束していたのに、ついに叶いませんでした。

その時は、今は忙しいから2週間後くらいに行くよ、という感じだったのですが、その2週間後には入院してしまったので・・・早く行けばよかった。

先日、肺炎の症状が落ち着いて治療は終了したからと退院したのに、翌日、もう旅立ってしまいました。退院した翌日はお風呂に入って、散髪してもらって、ゼリーなど美味しいもの食べて、運動もしたのに、それから数時間後には危篤でした。

でも、入院中は帰りたい帰りたいと何度も言っていたし、口から食べさせてあげたいと思っていたので、最後に1日でも帰れて甘いものを食べられたのはとてもよかったと思います。

最期まで意識ははっきりし、問いかけにも首を振って答えていたし、「おじいちゃん、喋ることと食べることが取り柄でしょ。」と言うと何度も頷きました。

娘である母に手を握られながら逝けたのは、祖父にとっても母にとっても幸せなことだったと思います。

一緒に暮らしたから色々な出来事があったけれど、今は私が東京や横浜に通っていた時のことの方を先に思い出します。

本当に楽しかったです。横浜が楽しかったという祖父と共通の思いがあれば、それで充分です。

そして、うちで美味しいコーヒーを飲んだ楽しい時間。ガーッと大口の、満面の笑み。

お互いに大切に思っていた横浜に私はしばらく行くことはないでしょう。

ありがとう、と、私はおじいちゃんをとても大切に思っていたんだよ、と最後に心で伝えました。

人が命を閉じる時、ひとつの時代が終わるのですね。

まさに、波乱万丈の人生だっただろう祖父。

悲しいというより、寂しいです。